第53話 招かれざる客
2012.01.10.Tue 23:05
京都の人は八坂神社のことを「祇園さん」と呼ぶ。堀川メンバーと一緒に初詣に行った佐倉は、人混みの中で引いたおみくじが「吉」と、可もなく不可もなしといった微妙な心境であった。「願望、精進すれば叶う」「勝負事、十分利有り」と、この2つだけを取ってみればこの先は十分明るい展望だ。
とは言っても、それはビリヤードプレイヤーとしての話であって、受験や恋愛などにもう少し注意を払ってもいいかも知れない。
学生にとっては冬休み、社会人にとっては故郷に帰省するものや京都に帰ってくるもの、めまぐるしく入れ替わり、堀川ビリヤードも例外ではなかった。普段見かけない面々が懐かしんで訪れたり、いつも見かけるメンバーが郷に帰ってしまっていなかったりする。
「毎年、正月ってのは忙しくて嫌になるね」とマスターが言うと、奥さんはそれをたしなめる。
「よう、1年ぶり」
「あけましておめでとうございます。マスターも元気そうで」
そんな会話が毎日のように交わされる。
1年ぶりに里帰りしたメンバーは、店内を懐かしんだり、1年前と違ったところがないか、記憶を頼りにキョロキョロと辺りを眺め回す。眺め回したところで何も変わってはいない。店主が何も変えようとしていないからである。しかし・・・
「あれ? 店員さん雇ってるの?」と結局はそこに行き着き、毎度の事ながら佐倉が自己紹介をしてマスターが経緯を説明する。そんなことの繰り返しであるが、かつての常連客の土産話が面白く、佐倉も一緒に聞き入ってしまうのだ。
そうこうしているうちに夜も更け、もう少しで佐倉もバイトを上がろうとしていたときだった。
「へー、ビリヤード、お前やれんのかよ?」
「こうやって構えて入れるだけやろ。誰でもできるわ」
4人組の少年たちが騒ぎながら店の中に入ってきた。4人はマスターや佐倉に目を合わせることもなく、奥のテーブルに勝手に入ってきて陣取った。
「大ビール2本!!」一人がそう叫ぶと、「もうあんまし飲むなよ」と一人がたしなめた。
4人とも椅子に雑に腰掛けてケラケラと笑い、大声で叫んでいた。4人とも酔っぱらっているようだ。
マスターは佐倉を制して自分で瓶ビール2本とグラスを4つ、奥のテーブルへと運んでいった。
「セーンキュ」と中の一人がビンとグラスを受け取ろうとすると、マスターがそっとお盆を引いて言った。
「あんたら、未成年と違うやろうね。身分証明書は?」
そう告げたとたんに、4人は不機嫌になり怒り出した。
「身分証明書て? アン? お前、ケーサツか?」椅子に座ったまま両足を床に放り出すようにして、リーダー格と思われる少年の一人がマスターを下から睨みつけた。一瞬のうちに緊張感が店内に広がり、マスターは少年の両目をじっと見続けた。
「こいつ、モーホーちゃう?」と一人がふざけて言い、4人はケタケタと笑い始めた。
「ごゆっくりどうぞ」とだけ告げると、マスターはビールをお盆ごとカウンターの方に引き上げた。
「ごゆっくりやってー」と4人はふざけて笑い出す。
カウンターに戻ったマスターの表情は固く、明らかに怒っている様子だった。奥さんはマスターの顔色を心配そうに見守っていた。
「お茶出したって」小声でマスターが佐倉に告げると、佐倉は4人分の番茶を淹れ、奥のテーブルへと運んだ。
「はい、どうぞ、ごゆっくり」佐倉はお盆から湯飲みをテーブルに移し替えると、同じく小声でそう言った。あまり構われたくない、そういう気持ちが少年たちに伝わったのか、そういうときは逆に構われてしまうことの方が多いようである。
「ねえねえ、ねーちゃん、何歳?ビリヤードするん?」
「ビ、ビリヤードはします」目を伏せながら彼女はそう言って、何かやるべきことを探そうとしながら華台の方へと去っていった。
「へー。ねーちゃん、ビビリヤードするんやってー」少年たちは揚げ足を取るようにからかってはケタケタと笑っていた。
佐倉は温厚な性格だが、内心はもの凄く怒っていた。怒りながらも相手のペースに飲まれないように、華台でセンターショットを繰り返して練習する。怒りの気持ちを鎮めようとするが、なかなか思うようにならない。
しかし、目の前のボールに集中し出すと、次第に少年たちのことは気にならなくなってきた。
少年たちは、佐倉が構わないことで面白くなくなってきたのか、他に楽しみを見つけようとする。しかしここはビリヤード場である。他にそんなに娯楽がある訳ではない。
「しゃーない、ビビリヤードでもするか。ビビリヤードするわ、俺ら」と大きな声で聞こえるように騒ぎ出す。
リーダー格の少年は、佐倉の方をチラチラと見て、リターンボックスの中のボールをテーブルに上げ、佐倉がやっているように並べ出した。センターに的球を1つだけ置き、手球を手前に置いて他の球は短クッション沿いにずらっと並べる。それを見ていた一人が慌てて立ち上がった。
「エイトボールやろ、な」そう言うと、ボールをトライアングルの中にセットして並べ始めた。
「う、うん。何でもええで」リーダー格の少年はそう答えた。
フットスポットを頂点に置かれたトライアングル、そして8番ボールを中心に器用に並べていく一人の少年の周りを他のみんなが取り囲んだ。熱心に見ている様子を、マスターは気付かれないようにそっと眺めていた。