第39話 最良のパートナー
2011.08.30.Tue 07:00
「さあ、これでベスト8。あと一つ勝てば賞金圏内だが、オレたちはさらに勝ち進んで優勝を目指すぞ!」そう龍プロが佐倉に告げると、彼女は「はい!」と両の拳を力一杯握りしめた。
試合が進行するに従い、待ち時間も短く、忙しなくなってくる。お互いに干渉しないように4台のテーブルが割り当てられ、一番手前のテーブルでは運営スタッフが賞状やら賞品やらを台の上にきれいに並べ始めていた。
龍と佐倉のペアは乗っていた。しかし、佐倉の心のケアやショットのアドバイス、そして自分自身に回って来た難球を巧みなボールコントロールで切り抜けてきた龍プロにも、やや疲れが見え始めてきたのである。極限の集中力が連続したことにより、龍の緊張感がやや弱まりつつあった。そう感じさせるようなミスがやや増えてきた。
ゲームの方は相手のミスも手伝って一進一退ではあったが、初心者の佐倉から見ても龍がどこかしら本調子ではなくなっていることを感じ取ったのである。
「すみません」と佐倉は口を開いた。
相手ペアに深々とお辞儀をすると、早歩きでテーブルの後ろからバーカウンターの方へ観客をすり抜け、一本のおしぼりとグラスに入った冷水を持ってきて龍に差し出した。
「お待たせしてすみませんでした」両方に編んだ三つ編みが前に振り払われるぐらいの勢いで、深くお辞儀をした。
「はい、これ。額の汗を拭いて」
「ああ、ありがとう」と答えて龍が汗を拭う。
冷水を飲んでいると、プレイヤーの視界の妨げにならないように注意しながら、佐倉は龍プロの顔を手団扇であおいだ。
本当にごくわずかな、涼しげな微風が龍プロの顔に心地よい空気を送り込んでいく。
「ありがとう。生き返った気持ちだよ」礼を言った龍プロには、パートナーとしての佐倉をはじめて頼もしく感じた瞬間だった。そして、闘っているのは自分一人ではなく、彼女も懸命に頑張っているのだと、あらためて心に刻んだ。
それからの龍プロのプレイは冴え渡っていた。パートナーへの信頼感からくる安心感、一体感が彼の集中力への原動力として大きなプラスに働いた。
「このショットはこれまでとちょっと違う。厚みは真っ直ぐだが、手球のド真ん中撞いてくれ」
「はい」佐倉は戸惑いを感じながらもそう答えた。
「やや強めのショットで球3個分だけ前に転がす。転がりをイメージしろ」
何度もキューをしごいて放たれたショットは、手球の真ん真ん中を貫き、コンという響きを残して的球を見事にポケットに導いた。そして龍の言ったとおり、手球がゆっくりころころと転がって球3個あたりのところで停止した。
「ナイス!」そう言った龍はショットに大満足だった。
観客からもパラパラと拍手の音が聞こえる。
佐倉が次の球への狙いを確認しようと見に行くと、妨害球をかわして次の球へのベストポジションに手球が運ばれているのがわかる。それまでのストップショットもポジショニングには違いないのに、このショットでは自分でも手球をコントロールしたという実感が彼女を興奮させた。
それからも龍プロの要求するショットは徐々にではあるが高度なものになっていった。
「いつもの撞点より2mm下を撞いてくれ。球2、3個だがバックスピンで戻ってくるはずだ」
その通り、上級者ほどのキレのある引き球ではなかったが、普段のショットよりやや下を撞くことでポジションの幅がグッと広がった。佐倉は新しいことにチャレンジすることを楽しく感じていたし、龍プロの方もポジションされることによって自分のショットにも余裕が生じてきたのだ。
気がつけば相手には2セットしか与えずに圧勝していた。
佐倉は気分がもっとも充実した状態になり、満足していた。龍プロは確かな手応えと信頼を全身で感じ取っていた。
彼らが試合を終えて、次の対戦相手に目をやると、それは同じ店からエントリーしていたお嬢と牛島のペア、そして相手ペアの対戦の勝者とぶつかることがわかる。
「このままの状態で試合が進めば、次はお嬢のペアと・・・ってことになるな、手強いぞ」
龍と佐倉は彼らのテーブルの近くで試合を観戦した。
そして牛島がゲームボールをポケットして勝利を収めると、佐倉も龍も揃って彼らに拍手を送る。
試合の合間の小休止が終わると、彼ら4人は同じテーブルに向かい、お互いに固い握手を交わした。
「お手柔らかに・・・」
「真剣勝負だ、遠慮はいらないぞ」
「よくここまで勝ち上がってきたわね、勝負よ!」
「一生懸命頑張ります!」
それぞれがそれぞれの思いを口にし、いつもは仲間のはずの4人がいつもと違う場所で真剣勝負を繰り広げる。佐倉と牛島のバンキング勝負は、お互いに一歩も譲らない気迫のバンキングで、手前のクッションにどちらもほぼくっつけるぐらいの好勝負だった。
わずかにクッションに近かった牛島がセミファイナルのバンキングを制した。