第37話 頼む、入れてくれ!
2011.08.16.Tue 07:00
「なに、その格好!?」と言った佐倉はプーッと吹き出した。
さっきは負けてしょげていたのに、お嬢と牛島の格好があまりに滑稽で斬新すぎた。
「惜しかったようね」お嬢がそう言うと、
「うん。二人はどうだったの?」とお嬢たちの方に話しを向けた。
「オレたちは反則技のファッションで勝つには勝ったんだけど、こんなんでええんやろうか?」と、牛島が首をかしげる。
「ええねん、ええねん」と、珍しくお嬢が関西弁でそう言い、牛島の首輪をクイと引っ張ると、牛島はそれに従って首をうなだれた。
「そっか・・・」佐倉は呟いた。
コスプレを楽しみながらも勝ってしまう二人を少しうらやましく思い、人垣の向こうで今も闘っている他の選手たちの様子を遠目に見ながら、少しの悔しさがこみ上げてくるのを感じた。
龍はすぐ近くにいながら佐倉の方を振り向かずに、彼らと同じように試合を遠目に眺めていた。そこへ初戦を勝ち星で決めてきた別のプロが近づいて来て、龍に話しかけた。
「龍よ、さっき見てたけどご苦労なこって。初心者引き連れてじゃさすがの龍様もオレと当たる前に敗退じゃねえか?」と皮肉たっぷりにふっかけてきたのである。
佐倉自身は自分が足を引っ張っているんじゃないか、との気持ちがまたぶり返してきた。そして同時に龍がカッとなり、売り言葉に買い言葉のけんかになってしまわないかと恐る恐る龍の横顔をのぞき見る。
ところが龍の表情はこれっぽっちも変わることなく冷静そのものだった。涼しげな表情でこう返した。
「最後だけはちょっと残念だったが、いい仕事をしてくれる最良のパートナーさ。しっかり練習も積んでるし、彼女なら期待に応えてくれるよ」
そこで龍が急に佐倉の方を振り向いたので、彼女は首をすくませるようにしてお辞儀をした。
相手のプロは、二人の反応が面白くなかったからか、何も言わずにその場を立ち去っていった。
佐倉にとっては龍の対応はとても頼もしく思えた。何より初めての試合で緊張もしているし、信頼しあえることは非常に大切だ。龍の揺るぎない言葉が、かえって二人の絆を深めたと言っても良い。
次の試合までの待ち時間の間、2つのペアはそれぞれにアドバイスをしたり、試合の戦略を練ったり、励まし合ったりしていた。
敗者側1回戦の呼び出しがあり、先に龍と佐倉のペアが試合をすることになった。
驚いたことに相手は二人ともスキンヘッドのペアだった。ちょっとワルな印象だが、試合前に深々とお辞儀をするところを見ると、意外に礼儀正しい好青年かも知れない。
バンキングで初めて佐倉が勝った。スキンヘッドのショットが強すぎたのでもあるが。
龍のパワフルなブレイクでボールがきれいに散ると、佐倉は龍の指南を受けながらイレイチのショットを、龍は難球を沈めながら完璧なポジションをこなしていく。佐倉のショットはまだまだ未完成で不安定であるが、方向性が定まればそこそこの精度で龍の要求するショットに見事なまでに応えていた。
龍の方は、コンディションをほぼ完璧なまでに掴んでおり、的球を狙う姿は普段よりも慎重なぐらいだが、佐倉の実力でも8割方成功するような場所へ正確にポジショニングをしていっている。まさに神業だ。
こうして本日2回目のマスワリを達成し、二人のボルテージは最高潮に上がってきた。何より佐倉は自信を取り戻し、笑顔がこぼれるほどである。
ところがすべてこのようにはならず、ときには佐倉が狙えるポジションに出せないこともある。こんなときはさすがプロと思わせる巧みなセーフティを駆使し、相手チームは壁に向かって撞くことを強いられる。
狙い球が見えていたとしても、二人の実力に精神的に屈する部分もあり、二人のスキンヘッドはお互いにキューを伸ばすことができず、苦しい展開を強いられる。それでも千載一遇のチャンスが巡れば二人で協力し、スキンヘッドは意地でも食い下がろうとする。
龍・佐倉ペアが先にリーチとなって迎えた最初のセット、中盤ややもつれつつも回って来た的球は隠されていた。佐倉はクッションについても当然のことながら初心者である。しかし、龍の指し示した場所にやや捻りを加えてショットすると、苦もなく的球にヒットしてしまう。そして相手にはイージーな球を残さない。
スキンヘッドはもう余裕がなくなってきて、頭から額にかけて流れ落ちる汗をおしぼりで拭きながら、なんとか冷静さを確保しようとしていた。
その甲斐あってか、セーフを返すことができ、しかし龍がそれを難なく沈めてしまう。が、龍のショットにミスがあった。ゲームボールの9番をサイドに取れるようにポジションしたつもりがやや長く、どのポケットを狙うにしても難しい球になってしまった。
「すまん」龍は佐倉に謝った。
「ううん」首を横に振る佐倉。「頑張って必ず入れます。どこに狙えばいいですか?」そう、彼女はこのゲームボールをポケットして、勝利することを願っている。勝つことに対して100%の集中力を注いでいる真っ直ぐな眼がそこにあった。
龍が指し示したのは真っ直ぐより少し角度のついたコーナーへのラインだ。宙ぶらりんな「への字」の球で、上級者でもちょっと嫌がる配置である。
龍はまず佐倉が思うように構えさせ、素振りをさせた。さらに狙いの軌道を修正し、スクラッチを回避するために普段より3ミリだけ下を撞くように指示した。
「技術うんぬんというより根性の球だ。狙いに向かって真っ直ぐにキューを伸ばせ!自分を信じろ」龍はいつもより増して力強い言葉で言った。
「はい!」とハッキリ返事をする佐倉。
「頼む、入れてくれ!」龍の言葉に佐倉はゆっくりと静かに頷いた。
その空間だけは息をのむような静寂に包まれていたような気がした。
佐倉は素早くキューをしごいてストロークを確認すると、静かに息を吐きながらキューを真っ直ぐ引いた。一瞬の間が「タメ」のように、キュー尻を止めたかと思うと、肘から下をしなやかに素早く動かし、コンという音と共に手球を9番ボールにめがけて放った。
3人の視線が9番ボールの行方を追う。一方の佐倉は撞き終わったフォームのまま静かに静止している。
手球に当たって勢いよく弾き飛ばされた9番はきれいな縦回転のまま転がり、真っ直ぐにコーナーポケットへ。
カコーン!という快音とともに龍と佐倉のペアの勝利が決まった。
その瞬間、龍プロはもちろんのこと、相手のスキンヘッドたちからも「ナイスショット!」の叫び声があがり、拍手をしながら立ち上がって二人に近づいて来た。
「いいショットでした。ありがとうございました」
2組4名の選手たちは互いに健闘をたたえ合い、固い握手をした。
残念ながら敗れてしまったスキンヘッドのペアは、静かにキューを畳んでいたが、その表情には清々ささえ見受けられるようだった。
「気持ちのいい相手だったね」龍がそう言うと、佐倉は「はい、とっても」と答えた。
佐倉は自分の右手の手のひらをじっと見つめた。そこにはさっきの難球を沈めたときの手の感触がまだ残っているような気がした。
お嬢と牛島のペアは勝者2回戦で呼び出された。仮に敗れたとしても別の組なので佐倉たちと当たることはない。
しかし、お嬢のリードが良かったからか、従順な牛島がショットを確実に決めていったからか、息のあったペアはここでも順調に勝ち進み、決勝トーナメントの進出を早々に決めてしまう。
ただし、試合後の待ち時間では、牛島はお嬢から反省点のダメだしを相当喰らっているようで、ある意味かわいそうでもある。
そして敗者最終戦を迎える佐倉と龍のペアは、ますますその真価を発揮し、アマチュアペアの中でも有力視されていたペアに快勝したのである。これで決勝トーナメントに残った16チームの中に、堀川ビリヤードから2チームすべてが含まれるという快挙。これを知ったらマスターも喜んだであろう。
すべての予選トーナメントが終了すると、決勝トーナメントの組み合わせ抽選を行いながら、同時にベストドレッサー投票が始まった。ベストドレッサーにエントリーしている選手がテーブルの前にずらりと並び、そこにはお嬢・牛島ペアはもちろんのこと、龍・佐倉ペアもいた。
エントリー選手のすぐ後ろに投票箱が置かれ、選手、ギャラリーや運営員らがそれぞれ投票箱に票を投じていく。メインイベントではないにせよ、どのペアが一番評価されるのかは、各選手が皆気にしているところである。
ざわざわとした場内の雰囲気が再び静まり、決勝トーナメントの選手を順に呼び出していく。ここからは一度負けると敗退であり、上位には賞金もかかっている。ギャラリーの視線を浴びながらのプレイとなり、自ずと緊張感が高まっていく。
「試合の呼び出しを行います。ベスト16、第1試合、原田プロ、佐倉ペア」呼び出された二人、気合い十分である。
「永沢プロ、藤木ペア、1番テーブルです」
対戦カードを受け取りテーブルに向かう。佐倉は驚いた。さっき龍プロにちょっかいをかけてきたプロが相手だ。
(この人たちには負けたくない)
佐倉はそう思った。