第34話 女王様と犬
2011.07.26.Tue 07:00
整然と並べられたビリヤードテーブルが店の奥へと連なる。雰囲気はニューヨークにありそうなプールバーの装い。その最奥で、あるペアが密かに注目を浴びていた。
黒いエナメル素材のボンデージファッション。セクシーなジャケットとホットパンツの出で立ち、真っ赤に塗られたルージュはまるでSMの女王様だ。エナメルの表面がテカテカと光り、テーブルのライトが妖しく反射する。相手ペアのプレイアビリティに影響するのでは、と思われる文字通りギリギリのファッションだ。
ペアのもう一人は同じくエナメル素材の膝丈までのパンツに短すぎるジャケットを着込んでいる。そしてたくさんの鋲が打たれた黒い首輪、顔にはまるでパンダのように目の周りをメイクで黒く塗りたくっている。
前者がお嬢、後者が牛島である。
いつの間に着替えたのか、実は試合開始直後に羽織っていた上着を脱いだだけで、メイクだけは呼び出し後に急いで支度をしたようだ。
最初は恥ずかしがっていた牛島もどうやら開き直ったようである。お嬢の方は最初から堂々としたもので、ファッションを魅せようという意識が高いからか、それっぽく、格好良く見えてしまう。
相手のペアはたまったものではないが、どうせベストドレッサー賞狙いだろうと高をくくって意外に落ち着いてプレイをしていたようだ。
もう1台のテーブルでは佐倉・龍ペアの対戦相手が好調な出だしを見せていた。相手ペアにプロがいることに緊張しながらも自分たちのプレイを心がけようと懸命だ。何より、仲良しで息が合っている分、佐倉たちよりも優れた面を持っている。
佐倉たちはメンバーにプロが参加している分、1セット多いハンデを背負っている。序盤に少しでもリードをしておきたいところである。
しかし、相手ペアの小太りの方がうまくパートナーにアドバイスをしてリードをしている。彼の眼中には龍プロの存在があった。プロになんとしても勝利して、試合に弾みをつけたいと思っていた。
ペアマッチの難しいところは、必ずしも相手が期待するポジションをしなかったり、その逆もあることだ。得手不得手も異なるため、簡単なつもりでアドバイスしたショットが、実はパートナーにとってまだ習熟しきっていない技術であることもある。
わずかなポジションの違い、要求されたショットの難易度から、相手パートナーがミスをする。
「くそっ」
そう言い残して二人は自席へと戻っていった。
いよいよ龍プロと佐倉の本格的な出番が始まる。まずは龍プロのショットからだ。さすがにプロである。テーブル上に散らばった球のトラブルの部分や取り切る順番の組み立ては瞬時に頭の中に出来上がっていた。あとはいかにそれを具現化するかだ。
龍は単に的球をポケットするだけでなく、パートナーの佐倉がショットしやすいポジションに運ぶことを要求されている。扱いやすい角度、手が届きやすい程度の距離で、次のポジショニングも考えなければならない。これは大変な作業である。
回って来た5番ボール。龍は難なくポケットし、6番ボールにほぼ真っ直ぐな位置につけた。
「どうだ?大丈夫そうか?」
「わからないけど、なんとか・・・」そう答えた佐倉も、さすがに最初の試合で緊張が舞い戻ってきたようで、表情がやや固い。
練習してきた配置と大差ない。佐倉は普通にポケットできると思っていたが、緊張のためにキューが出せず、ぬるっとしたショットになってしまい、6番ボールは無情にもあさっての方向へ行ってしまう。
「すみません」意気消沈して佐倉が答えると、
「いや、大丈夫。緊張しているだけさ」龍プロは佐倉の方をポンと叩いた。
このセットを相手ペアが何とか取り切って1セット先行となる。
マスワリが出るほどではなかったが、要所要所を相手ペアが抑えていたため、あっという間に相手リーチとなってしまった。それに対して佐倉・龍ペアは無得点である。
佐倉は自分のミスのために相手に順番を渡してしまったことを悔やんでいた。龍プロは、佐倉が普段通りのショットができるポジションへ正確にボールをコントロールできていないことを反省した。
なぜかうまくかみ合わない二人。プロが佐倉をカバーしきることが難しいのか、あるいは他に道はあるのか。
「そうだな。佐倉さんはいつものショットがあまりできていないようだね」
「はい。いつもなら入れているはずのショットが決められなくて、本当にごめんなさい」深々と頭を下げる佐倉。
「佐倉さん、笑って!」と龍プロは満面の笑みを浮かべた。「反省は試合後でもいいから、とにかく今は目の前の試合に集中しよう。それと、ややフォームが前屈みになっているから、構える前に背筋をピンと伸ばして、あとはいつも通りに、ね」
「はい」それでも元気なさそうに答える佐倉だった。無理もないだろう。
「実はさ、オレも緊張してんだよね」照れくさそうに暴露する龍プロに佐倉は驚いた。
「え?そうなの?」
「うん、いまだに緊張するよ。きっと他のみんなもそうだと思う。普段通りのプレイができる人なんてそうそうはいないものさ」
そう言われると佐倉の気持ちがぐっと軽くなったような気がした。
「そっか、緊張しているのはあたしだけじゃないんだ」
「何か、ちょっとしたことでもいい。困ったことがあったら何でも聞いてみて!きっとうまくいくから」
佐倉はこれほどまでにやさしい口調で話しかける龍プロを見たことがなかった。そして二人のペアの距離がグッと縮まった瞬間でもあった。
相手のミスがあり、これを逃すと負けが決定するという大事な場面で順番が巡ってきた。次は佐倉のショットである。龍プロは佐倉のすぐそばに立ち、入念なアドバイスを繰り返し伝えた。